続・美容整形物語~鼻中隔延長術

短期間で稼げるバイトが決まり、学業やバイトを両立しながらも彼氏との時間が確保できるようになった。

 

ねえ、真希の鼻って、曲がってない?

 

うそ?デリカシー無!そんな事面と向かっていうことじゃないでしょ!と、私は怒りと同様で、めまいを感じながらかろうじてこう返した。

ワタシの彼、淳(まこと)は、基本優しいのだが、突然へんなことを言い出すときがある。この「鼻の曲がり」についてもそうだ。

その発言も、時と場所を選ばない。この時はデパ地下で晩御飯のお惣菜を選んでいる時だった。ローストポークを200グラム、量り売りをお願いしている最中。周りのお客さんの目も気になり、さすがに動揺を隠せなかった。

 

たぶん、肉の陳列棚にあるブタの絵が目に入って、あの特徴的な鼻と私の少し不恰好な鼻のイメージが合致したんだろう。きっとそうだ。

でも鼻が曲がっていることに、気が付いていたとは思わなかったから動揺した。

 

いつ鼻が曲がったのか、まったく思い出せない。幼少期の思い出をたどっても、大きなけがをした思い出はないし、特にスポーツで鼻を痛めたという経験もなかった。しかし、鏡の前に座ってしばらく鼻を眺めると、鼻中隔のあたりが曲がっているのに気が付く。

もともと私の鼻は鼻中隔が短く、ずんぐりな鼻なのだが、それが淳にまで気づかれていたとは思わなかった。

鼻が曲がっていることも、コンプレックスには思わなかった。

女友達は別として、淳と過ごしている間は。

今まで付き合った男性も、私の鼻を気にするような事は言わなかったと思う。

 

ただ、淳は違った。彼もそれほど人の外見を気にしたりしないし、彼自身イケメンではない。人の容姿を気にする前に、まず自分で鏡を見ろよ、というタイプだ。

 

その彼が、初めてワタシの容姿、しかも自分が一番気にしている部分をずばっと指摘したものだから、そのショックは大きかった。

家に帰って夕飯の支度をしようと思っても、「真希の鼻って、曲がってない?」の一言が、頭の中をぐるぐるまわる…。

 

ふとテーブルのほうを見れば、淳が何事もなかったかのようにソファに座り、テレビを見ている。その屈託のなさが憎めない反面、グサリと心に突き刺さったトゲを、どのように処理しようかと悩んでいる自分がいる。

 

とりあえず、今日は楽しくご飯を食べよう!気にしない気にしない!自分に言い聞かせてみるが、やっぱりまだダメみたい。

どうしても今日は前向きにはなれなさそうだ。

 

「ねえ、なんで今日はあんなこと聞いたの?」

え?何の話?あんなことって、何?

やっぱりそうだ。覚えていない。いつもそう。この男のいいところでも、悪いところでもある。

 

「あ、そう。おぼえてないのね(怒)」

 

ええー?何怒ってんの??こわいな笑。

 

いつものやり取り。少し、救われた気がした。

美容整形物語~鼻中隔延長術

「あー、鼻ね。鼻だよね。あの子の鼻ってスゴイ特徴的だから、すぐわかるよね。」

大学の講義が始まるほんの数分前、大講義室に入る時、そんな声を聴いた。それはほんの数カ月前に知り合った、友人グループの声だった。

「そうそうー、なんていうの?極端に小さいっていうか、にんにくっていうか、そんな感じだよねー。えへへへーっ。」

「しー、聞いてたらどうすんの。そんなこと言わないほうがいいよー。ははは。」

 

確かに、友人たちの声だ。3人。私を入れて、4人。大学に入学してからはほとんど一緒に行動していた。

それは6月に入ったころ、雨の日だった…。

 

コンプレックス。

そう、私にとってこの鼻はコンプレックスでしかない。この鼻でよかったと思ったことは一度もない。

物心ついた時からそうだ。5歳か6歳か、たぶんそんなころだと思う。

他の女の子たちと同じように、セーラームーンにあこがれていた、可愛いキャラクターになりきっていた。その頃って、ほとんどの女の子が、自分はお姫様でもないし、アニメの中のかわいいキャラクターでもないって意識する時期だと思う。私もそうだ。

 

特別に鼻が低いとは思っていなかったし、親も全然、私の鼻が低いとは言っていなかったし、友達だって気にしていなかった(思う)。

小学生になって残酷な現実が待っていた。

 

男の子にいじめられた、というより、からかわれた。鼻の形のことで。その時だ、初めて自分の鼻が「異形」と思ったのは。

 

そのからかわれた記憶を引きずりながら思春期になった。その頃になると、いろいろと調べたりしたし、成長に入ったところで同級生たちと、ますますその差が明らかになっていく…。

 

現実を直視したくはなかったけど、自然と鼻に目が行った。鏡を何度も見るようになった。

 

鼻の軟骨を伸ばす…鼻中隔延長術という美容整形の方法がある、それに気が付いたのは、高校生の頃だった。費用は20万円くらい。とてもお小遣いだけで払える金額ではない。かといって進学コースに通っていた私は、アルバイトをするヒマもなく、コンプレックスを抱えながら悶々と過ごしていた。

 

受験を終え、晴れて大学生になった私。私服での通学、開放的な一人暮らしに、少しは鼻のコンプレックスも和らいでいた、と思う。大学デビューを飾った私は、友人を作り、大学生活を満喫していたーその矢先の出来事だった…

 

くやしい!

 

友人の言葉にショックを受けた私は、すぐにアルバイトを探した。

短時間で稼げる、家庭教師か塾講師を探した。

お金を貯めよう、夏までに、それで鼻中隔延長手術を受けるんだ。鼻を直したい!

気持ちは次第に強くなっていった…

 

つづく

美容整形物語~鼻骨骨切術

面と向かって鼻が大きいね、なんて言う人はめったにいない。

でもたまに、いる。

その時私はこう思う。

「大きいのは鼻だけじゃないんですよ。もう一つ、あなたから見えないところも大きいんです。だから、私の鼻だけを見て、私の外見を知った気にならないでね、って」。

なんだか回りくどいかもしれないけど、私のカラダには人から見えるコンプレックスと、そうでないコンプレックスの2つがある。

一つは鼻、もう一つはアソコ。何が大きいかは、あえてここには書かない。

どちらのコンプレックスも生まれつきだ。生まれつきに大きい。だから自分では普通だと思っていて(特にアソコのほう)、気にしたことはなかった。鼻は思春期を過ぎてから、骨格が出来上がったころかな、同級生の男の子に言われて意識し始めた。

決定的だったのは、好きな子に鼻が大きいってことを言われてからだ。直接言われたわけじゃなく、間接的に人づてで聞いたのだが、とてもショックだった。

鼻が大きい、高いのではなく、大きい。顔は面長なので、より強調されるのかもしれない。この鼻を巡って、よく両親とケンカした。

いまではとても恥ずかしく、後悔ばかりが先にくる思い出だが、当時は真剣に、なんで鼻が大きいのか、忌ごとをぶつけた。

自分にとって、まったく異物感のない鼻。でも他人にとってはよほど目立つらしく、人と対面したとき、ほとんどの人の視線が目を外し、視線に落ちるのに気が付いた。

普段、気にしはしない、でも視線が落ちる。自分が気にしているからそう感じるだけなのか?やはり視線が気になる。もちろん、気にしないようにする、でも視線が落ちていく…ように感じる。

そんなことを繰り返していくうちに、意識せずにはいられなくなっていく、自分の鼻。

異形なのだろう。普通の鼻じゃない。ほかの人にとっては。

そう自分に言い聞かせ、「異形の鼻を持つ自分」を受け入れようとする。だけど、そんなことが簡単にできるはずがない。

身体の一部であり、常に人の目に触れるからだ。もう一つのコンプレックスは人の目にめったに触れることはない。特定の人にだけ見せるだけ。特定の人はほとんど、自分のすべてを知っている人になる。すべてを受け入れてくれる人だから、たとえコンプレックスでも見せられる。厳密に言えば、それはコンプレックスではないのかもしれない。見られたくない所といえばいいのかも。

見られたくないのは鼻も一緒、でも隠れていない、隠すことができない。そのもどかしさは、私の人生で結構大きな異物感として、大きくいびつに膨らんでいる。

だから決意した。美容整形、鼻骨骨切の手術を受けに行こうと。

まだまだいきます、美容整形物語~鼻中隔延長術

いつかこの鼻を高くする!

 

そう願って33年、ようやく私はここにたどり着いた…。

 

私はある地方都市の出身だ。両親はその県の中の「田舎」出身。

都会の人から見れば、両方「田舎」というだろう。

 

でもこういうのにも、ヒエラルキーがちゃんとある。

比較する対象が、自分の立ち位置によって決まり、それを序列化させていく。序列化しないと居心地がとても悪い。

自分の考えを固める上で、そのよりどころがなくなってしまうと、人は途端にふわふわする。

人はいつも中心が何か考えている。お手本、見本のようなものといえばいいだろうか。

 

生き方の見本、お金の稼ぎ方の見本、ファッションの見本、余暇の過ごし方の見本、仕事の見本。

 

その見本が中心で、自分はその見本のほうを向き、その立ち位置を決める。

日本にいて、その中心となる都市が東京なのは言うまでもない。

たとえば岐阜県の多治見市に住んでいたとして、県としてのくくりは岐阜市に、地理的には名古屋に、そして東京にと多治見市が円の一番外、岐阜市がその内側、名古屋がそのまた内側で、東京が中心となる。

序列化するときの軸は人が生きていくための指針となる。だからこそ、中心がどこか、スタンダードは何か。何でもかんでもそれを追い求めるのだろう。

 

この話と、鼻を高くする話。

たいして関係がないと思う人も多いかもしれないが、まったくそんなことはない。

人の顔は、それぞれ同じではない上に、記号であり形であるために、それぞれのパーツごとに美的な評価が分かれる。

この美的な評価という部分が、中心とそのほかを分ける要素になっているのだ。

美的な感覚での中心とは、美しさである。

美しい鼻、美しい目、美しい唇…。

美しさの評価は人それぞれまちまちで、文化的な要素にも大きく影響を受けるし、人種的な特徴も加味される。

一概には評価できないが、中心となるのは、やはり美のスタンダードなのである。それは最新のファッションを作り出す街、ロンドンであり、パリであり、ミラノやニューヨーク、東京といったあたりが中心だ。

そこで語られている美は、間違いなく、西洋的な基準に基づく美である。

であればこそ、顔のパーツははっきりとしており、造形はスマートで、シンメトリックな要素が多大に評価される(とはいえそれがベストではない)。

いずれにしても鼻が低いよりは高く、目が小さいよりは大きいほうがいい。

私は幼いころから、だんご鼻に悩み続けていた。

この鼻が明らかにスタンダードではなく、しかも田舎者の象徴なような気がしてならなかったため、いつか鼻を高くしたいと考えていた。

鼻中隔延長術を知っている人も多いと思う。

 

来週、いよいよその手術を受けるのだ…。

前額形成でも書くよ!美容整形物語

明日前額形成の手術を受ける。

 

 

「あなた、そのおでこおじいちゃんにそっくりね。」

 

幼心に、傷ついた。

 

祖父の家に遊びに行くと、必ず言われるその言葉に、辟易していた自分がいる。

40歳になった今でもその言葉、その光景を鮮明に覚えているのは、よほど悪い記憶だったからに違いない。

 

私のおでこは、両目の中心からおでこに向かって一直線に進むと、ポコっポコっと、小さな起伏がある。

良く見ないとわからないが、触ってみるとその出っ張りがわかるし、一時にしてしまうとついつい目が行ってしまう、そんなレベルの出っ張りだった。

 

どうやら母親は、父の両親、家が嫌いらしい。

小学生に上がる前には、そのことに気が付いていたと思う。

母親は父の前でも構わず、両親の悪口を言っていた。思い出せばきりがないが、とにかく私は、自分が結び付けられるのが嫌で嫌で仕方なかったのだ。

私にはどうしようもできない理由で、彼らを否定すること。私にはそれをどうにかする選択肢もなければ、それを言われて言い返す言葉も見つからず、ただ笑って過ごすだけだった。

母親に悪意がなく、自慢の娘の欠点を強いて挙げるとするなら、という枕詞を入れて、そういっていただけなのかもしれない。

でも、欠落には違いがなく、それはコンプレックスとして私の心に焼き付いてしまった。

 

大人になり、化粧をするようになったとき、再びおでこの出っ張りが気になって仕方がなくなった。

小学校から高校、大学まで前髪を下していたから、おでこのコンプレックスは忘れていた。いや、正しく言うと、完全に忘れていたわけではなく、それを考えずに済んでいたのだ。

しかし、就職となったとき、今までのようにダラリと前髪を下す選択肢が取れなくなってしまったのだ。

もちろん、ある程度は隠すことができる。でも化粧をする。その時に自分でおでこを見て、触らなければならない。

初めておでこにファンデーションを塗ったとき、一本の糸がピーンと張りつめたかのように、自分の記憶が過去から未来まで連なっていった。

このおでこと一生付き合わなければならない。

今後もずっとおでこを見て、それを隠そうとするんだろう。そう考えたとき、背中から腰にかけて、一筋の汗が滴り落ちるのを感じた。

その冷たさと不快感、おでこを見る自分の姿に、少しめまいを感じたとき、私は一つの決意をした。

このコンプレックスを消そう、と。

 

半年後、私はある美容クリニックのカウンセリングを受けていた。

そう、前額形成術を受けるために。

美容整形物語~口角挙上術

突然の告白だった。

「なんでいつも口がへの字なの?不満そうにして、何か文句でもあるの?」

 

今まで意識していなかったといえば、ウソになる。

もちろん、気が付いていた。

中学生になって、みんな落ち着いてくる。

友達とふざけあったりすることも、あまりなくなる。

知らいないうちに、普通に笑うことができなくなっていたかもしれない。

 

家でもそうだった。

兄弟がおらず、両親は共働き、家に話し相手はいない。

両親とは反抗期から、距離を置いていた。

話す言葉は2,3語程度。会話はおろか、テレビを見て一緒に笑うなんてあり得なかった。

 

別に、ふさぎ込んでいたわけではない。

ただ、思春期に入っていろいろ考えるようになり、自己完結的に自分の中で頭をめぐらせ、物事に色を付けていった。

そんな生活を続け、表情に色がなくなっていくのを自覚していく。

部活は帰宅部、塾に通う以外は学校と自宅の往復。

笑う機会はほとんどなかったから、クラスでは暗いヤツと思われていただろう。

 

あれから20年が経った。

大人になり、仕事もしている。

営業ではないが、事務方でもお客様との折衝などを行う部署に勤めている。

笑顔は決してうまいほうではないし、どちらかというと根暗だ。

それは中学生のころから変わっていない。

ただ、仕事を円滑に進めていく上で、笑顔は大切にしている。

社会人経験で得た知恵。笑顔こそ、人を和ませるだけでなく、自分の緊張も解くとわかった。

最低限のビジネスマナーといえば聞こえはいいかもしれないが、

私は自分の作り出す表情に自信があった。

まさか、自分の口がへの字にまがっているなんて、夢にも思っていなかった。

無表情だと、口角が下がる。

突然、恋人から言われてしまったのだ。

 

私は口角が下がるのは、普通だと思っていた。

両親もそう(特に母親)だし、友人の中にもいたからだ。

でも、みんな言わないだけで実は悩みを抱えているのではないか?と思った。

口角を上げるにはどうすればいいか、ネットを使って調べ、自分でできるものは実践もした。特に笑顔体操は頻繁に行った。

でも、長年のクセはやっぱり取れない。

 

どうすればいい。恋人に言われたその一言が、私の心を大きく揺り動かし、後押ししていた。

 

そんなある日、とある美容外科クリニックのサイトを見たとき、口角を上げる手術があることを知った。

それは、口角挙上術だった。

上眼瞼リフトの魅力とは?

若いときよりまぶたが垂れ下がる。目元のメイク乗りもよくないし、なんだか暗い顔に見える・・・。

そんな悩みを抱えていらっしゃいませんか?

 

上眼瞼リフト/眉毛下切開法のメリットとデメリットをいくつか挙げてみます。

 

まずはメリットから

メリット1.まぶたがスッキリ

垂れ下がったまぶたが解消されます。若いときのようなくっきりとした目元に戻れますので、鏡を見たときに気分もパッと明るくなり、メイクの時間も憂鬱ではなくなります。

 

メリット2.二重もくっきり

もともとは二重まぶただった人も、まぶたがたれ下がってくると同時に、二重のラインも皮膚に埋没していってしまいます。そうなると奥二重のようになり、見た目の印象も変化してしまうでしょう。やさしい印象の目元を取り戻せます。

 

メリット3.二重のクセがつく?

まぶたのリフトによって、薄いラインしかなかったまぶたもより深い位置で癖がつきます。そうなると二重がより強くなり、柔らかな印象をかもし出す目元にはや代わりします。

 

メリット4.のっぺりした顔もきりっとした印象に

目と眉毛の間が開きすぎていると、大仏様のようなのっぺりとした印象の目元になります。上眼瞼リフトではその状態を改善し、きりっとした印象深い目元に変えてくれます。

 

メリット5.目が大きくなる

まぶたのリフトアップ効果とともに、皮膚と脂肪の切除によって目が以前より1mmほど大きくなります。一見わずかな変化にしか感じないかもしれませんが、目元は1mm違うだけで、印象もまったく変わってきますし、気分もぜんぜん違います。

 

では次にデメリットです。

こちらにあげるデメリットは、上眼瞼リフトの手術を受けたものの、技術不足や経過不良など何らかのアクシデントにかかわるものです。

 

デメリット1.たるみが取れなかった

たるみを取る手術のはずなのに、たるみが取れなかったらまさに本末転倒です。ありえないと思われるかも知れませんが、実際に起こりえます。

デメリット2.顔の雰囲気が大きく変わってしまった

眉毛の位置が下がり、目元の印象も変わるので、顔の雰囲気も変わっていきます。人相が変わったなんていわれるかもしれません。

 

デメリット3.左右の目の形が違う

切除する皮膚・脂肪の量が左右異なってしまうと起こりえます。

 

デメリット4.まぶたがすべて閉じなくなった

リフトアップをやりすぎた場合、まぶたが上に過剰に引っ張られ、すべて閉じなくなってしまいます。

 

デメリット5.傷跡が残った

切開するラインが問題となります。二重ラインとは異なるポイントで切除した場合、傷跡も残りやすくなります。

 

そのほかにもデメリットがあります。

目の形が変わる、眉毛の位置が下がりすぎる・左右位置が違う、二重のラインが短くなる・薄くなる、しわが増える、化膿する、傷口が開く、眼球や角膜の損傷などなど

 

ただしこれらはあくまで失敗やアクシデントがあった場合を想定しています。経験や技術のあるドクターであれば、それほどデメリットを心配する必要はありません。